小山市の皆様、介護福祉士講座の5つの特長です
小山はこんな町です
小山市(おやまし)は、栃木県南部にある市。人口は約16万人で、2005年12月に足利市の人口を抜き、県内では宇都宮市に次いで栃木県第2位の人口をもつ都市となった。また、城南地区、美しが丘地区などの開発中のニュータウン地域もあり、人口増加がこれからも見込まれる都市である。 栃木県南部の中心都市であるとともに、東北新幹線・宇都宮線・両毛線・水戸線が通じ、東京方面からの両毛・結城への玄関口となっている。 周辺の3市で小山都市圏を形成しており、その中心都市である。 市の中央部を渡良瀬川の支流である思川(おもいがわ)が流れ、市西端には巴波川(うずまがわ)、市東端に田川、さらに東側に鬼怒川が流れる。また田川の西側を吉田用水が流れ、付近の水田を潤している。市西部の思川流域、および市東部の吉田用水・田川・鬼怒川流域は水田地帯となっており、その間の台地部は畑作地帯及び住宅地・商業地・工業団地となっている。東北新幹線、宇都宮線、両毛線及び水戸線が東西南北に走り、市中央部には南北に国道4号、東西に国道50号、市東部に新4号国道が走り、農業集散地、「陸の工業地」として県下第2の都市の地位を維持している。また、市北部には桑地区、絹地区(旧桑絹町)があり、結城紬を産出するための地域的分業がなされていることでも著名である。茨城県結城市との繋がりが深く、かつては現在の結城市付近とともに下総国の一部であった地区もある。 気候区分は太平洋岸気候関東型気候区に属す。詳細はこちらを参照のこと。夏暑く冬寒い。夏は気温が30℃を超える日も多く、35℃以上の猛暑日になる日もある。一方冬は最低気温-5℃以下に冷え込む日もあり、降雪日数も年数日ある。降水量は夏多く冬場は乾燥する。夏季は夕立が頻繁に発生し、発雷日数も全国有数である。 小山は鎌倉時代、鎌倉幕府の有力武家藤原秀郷流小山氏の居城、祇園城(ぎおんじょう)の城下であった。室町時代に幕府が京に移ると、守護の地位は国司・宇都宮氏や関東管領・上杉氏に授けられた。その後小山義政が守護に復帰するが、鎌倉府の不興を買い討伐される(小山義政の乱)。後に小山氏傍系の結城氏一門が小山氏を名乗り家は再興されたが、戦国期以降には後北条方に味方した小山氏は後北条氏に滅ぼされ、遺領は結城氏が継いだが嫡子がなく断絶した。江戸時代初期には祇園城に本多正純が3万石で入るが、間もなく16万石で宇都宮城へ移封となり、祇園城は廃城となった。以降、一時、城域の一部は将軍日光参宮のための休憩所「小山御殿」として使われたが、古河藩の財政難のおり廃止された。 江戸期の小山市域は日光街道の宿場町(小山宿、間々田宿等)、あるいは、江戸川に通ずる思川の舟運によって栄えることになる。思川の河岸である乙女河岸は世に言う「小山評定」(徳川家康が、関ヶ原の合戦のため上杉景勝討伐をやめ、西に向かう評定をしたこと)後、兵馬の運搬に使われ、以降、幕府の厚い恩恵を受け日光東照宮造営のための資材船下ろし場となるなどして発展した。