足利市の皆様、介護福祉士講座の5つの特長です
足利はこんな町です
足利市(あしかがし)は、栃木県南西部にある市。古くは足利庄が栄えて清和源氏義家流・足利氏発祥の地としても知られ、フランシスコ・ザビエルが「坂東の大学」と呼んだ有名な足利学校がある。 1990年の16万8,217人(国勢調査による)をピークに人口減少が続いている。県庁所在地である宇都宮市に次ぐ規模を誇っていたが、2005年国勢調査にて小山市に抜かれ県内3番目となった。現在の人口は154533人。国道407号を南進した群馬県太田市(約21万5000人、合併前約15万人)、埼玉県熊谷市(約20万4000人、合併前約15万8000人)は当市と同規模だったが市町村合併によりこの2市は人口増となった。一方、あしかがフラワーパーク等により平成13年は263万人だった観光客入込数が2005年には301万人に増加している。 足利市中心部を流れる渡良瀬川近年では、様々な映画やドラマなどのロケ地としても多く使われるようになった。 市の北部に足尾山地、南部に関東平野が広がり、中央部を渡良瀬川が流れる。 山地と平野の接点に位置する。市役所(本城三丁目2145番地)の海抜は34.54m。 隣接する佐野市(人口約12万2000人)、桐生市(人口約12万4000人)、太田市(人口約21万5000人)、館林市(人口約7万9000人)とともに両毛地域の都市核であり、県都である宇都宮市よりも群馬県東部地方との経済的・文化的繋がりが深い。特に桐生市・太田市との関係は県境を跨いで密接であり、太田市とは平成の大合併において一時期、越境合併の話もあがった。旧小俣町・葉鹿町は桐生織物組合に加盟していたことがあり、小俣町は桐生市外十四箇町村医療事務組合にも加盟していた。 下野国足利荘は清和源氏義家流・足利氏ゆかりの地で、鎌倉時代に足利尊氏は後醍醐天皇の討幕運動に参加し、室町時代には足利将軍家となった。 近世近代において織物業が発達し、その自由にして闊達な足利人の気風を生んだ。 両毛線敷設の時、「ジャパンランカシャープラン」と命名し、資金を国内外から集め、横浜をリバプール、桐生・足利をマンチェスターに準えた木村半兵衛の功績によるところが大きい。