寒河江市の皆様、介護福祉士講座の5つの特長です
寒河江はこんな町です
寒河江市(さがえし)は、山形県のほぼ中央にある人口約4万3千人の市。西村山郡の中核都市として発展してきたほか、県内随一のサクランボの産地としても知られる。
山形盆地の西側に位置し、約20km南東に位置する山形市が一望できる。市の西にある朝日連峰や出羽山地から流れる最上川と寒河江川が、市域の東で合流する。この二つの川が形成する扇状地に市街地が位置しており、市の北部は葉山の南麓を中心とする山地になっており、東部には最上川の沖積低地が広がっている。南北は中山町、河北町と接しており、南西に隣接する大江町との境界は飛地が入り組んでいる。
中世、出羽国寒河江荘の地であり、鎌倉時代に大江広元が地頭となって以来、荘内の中心として栄えた。1584年に、大江氏は最上義光に滅ぼされ、中世以来の寒河江城は最上氏によって維持、整備されることになったが、元和年間に城郭は破却され、在郷町としての発展をとげることとなった。1622年以後は天領となり、1636年以後、楯南村に村山郡天領を治める幕府代官陣屋が置かれ、その体制が幕末まで続き、陣屋町としても発展した。
明治に入ると郡役所が置かれ、1885年に楯北、楯南、楯西、本楯の4村が合併して寒河江村となる。1889年(明治22年)4月1日、町村制施行に伴い、現在の市域にあたる寒河江村、西根村、柴橋村、高松村、醍醐村、白岩村、三泉村が発足。1893年(明治26年)1月7日には、寒河江村が町制施行し寒河江町となった。1922年以降は、山形市に至る左沢線の全線開通によって西村山郡一帯の行政・経済の中心地として発展した。寒河江市には、山形県の村山地方に置ける出先機関である、村山総合支庁の西庁舎も置かれている。
戦後に入り、1954年(昭和29年)8月1日に、寒河江町、西根村、柴橋村、高松村、醍醐村が合併し寒河江市となった。1954年(昭和29年)11月1日には、白岩町(1900年町制施行)、三泉村を編入した。
市長は、佐藤誠六が1985年から長らく務めた後、2009年1月20日からは村山総合支庁長を務めた佐藤洋樹が就任した。市役所庁舎は若き日の黒川紀章が設計したものであり、後に世界的な建築家となる彼が設計した建築物としては最初期にあたるものである。ホール中央には岡本太郎作のオブジェが飾られている。
農村部は果樹栽培が盛んで、サクランボは県内随一の生産を誇る。ほかに地場産業として、フルーツやコンビーフの缶詰加工業、ニット工業、草履の生産などがある。また、中央工業団地・ニューチェリーハイテクランドには、数多くの先端企業が進出し、1992年には技術交流プラザが完成、産学官一体となった開発、交流を行っている