熱海市の皆様、介護福祉士講座の5つの特長です
熱海はこんな町です
熱海市(あたみし)は、静岡県の市。静岡県の最東部に位置し、神奈川県と接する。 伊豆半島の東側付け根に位置し、相模灘に面する。市域内はほとんどが丘陵であり、別荘地や住宅なども高台の上に立つ所が多く、道路も勾配の急な坂が多い。海岸線もすぐに丘となる所がほとんどだが、中心部は埋め立てで砂浜海岸などが形成されている。 同じ相模灘に面する伊東市・湯河原町方面とは海岸に沿って地理的連続性を有するが、沼津市・函南町方面とは駿河湾水系との分水嶺となる急峻な丹那山地によって隔てられている。 なお、相模灘にある初島も市域内となっている。 熱海が一大保養地として発展を遂げたのは熱海線の開通後であるが、保養地としての歴史は豆相人車鉄道開通前にまで遡り、明治初期ごろには既に政財界の要人が保養や会談のため多く訪れていた[1][2]。そのため、東京との連絡が非常に多く、1889年には、東京電信局との間に国内初の公衆用市外通話が開通し、市外電話発祥の地としても知られている[3]。このような背景から、東京や国家の発展を支えた重鎮たちの原動力となった地と見ることもできる。 現在はかつてほどの盛況は見受けられないものの、東京方面からの保養地・日帰り温泉地として相応の賑わいを保っており、いわゆる奥座敷とされている。 現在、東日本旅客鉄道の東海道本線は熱海の先の来宮信号場までで、この先の丹那トンネルより東海旅客鉄道の管内となる。信号場では客扱い、乗務員の交代が出来ないため、どちらも熱海駅で行われる。これにより熱海駅を境に横浜・東京方面と沼津・静岡方面の在来線運行の起点となっており、熱海駅発着の列車は多い。また伊豆急行線の普通列車も熱海駅まで乗り入れており、同様に下田方面への起点ともなっている。 過去には東海道本線(当時の熱海線:国府津~熱海)が開業する前に、人車軌道・軽便鉄道として豆相人車鉄道→熱海鉄道が1895年~1923年の間存在した。また日本遊覧飛行鉄道という伊東市までを結ぶモノレールの敷設計画も戦前に存在し、戦後も熱海モノレールが計画され、当時の運輸省から免許が出されたが諸般の事情で工事ができず、結局幻のモノレールとなった。