松江市の皆様、介護福祉士講座の5つの特長です
松江はこんな町です
松江市(まつえし)は、島根県の東部(出雲地方)に位置する市である。旧島根郡 → 八束郡。同県の県庁所在地であるが、全国の県庁所在地の中では最も人口が少ない[1]。ただ東出雲町との2011年8月1日[2]の合併が決まっており、合併後は人口が約20.8万人で、最下位を脱出する見込み[3][4]。 宍道湖と中海に挟まれた地域に広がる都市。島根県の東部に位置する。 また、山陰地方の中央部にも位置し、山陰の中心都市でもある。 宍道湖から中海に注ぐ大橋川によって市街地は南北に二分され、北側は橋北(きょうほく)、南側は橋南(きょうなん)と呼ばれる。 旧来より「水の都」とされ、水郷水都全国会議の第1回会議は松江市で開催された。 橋北地区と橋南地区は昭和初期まで松江大橋のみで結ばれていたが、現在は西から順に宍道湖大橋・松江大橋・新大橋・くにびき大橋と大橋川の河口にある中海大橋の合計五つの大橋が架けられている。 このほか、市街地の渋滞緩和を目的として松江第五大橋(中海大橋を除いた場合)の架橋が建設中である。 日本海側気候であり、冬は曇りや雨、雪の日が多い。ただし、大陸からの距離が比較的近く、他の日本海側の地方と比べて気温が高いことから、積雪量はそれほど多くはない(松江市をはじめ島根県の日本海沿岸部は、豪雪地帯には指定されていない)。春から秋にかけては比較的好天の日が多い。 乃白町の田和山遺跡、大庭町の茶臼山周辺に点在する古墳群、大草町の出雲国庁跡、竹矢町の国分寺跡など、古代から奈良時代の多くの遺跡が松江市南部の意宇川下流域で発見されており、古くから比較的開けた地であったことを窺い知ることができる。 室町時代は出雲守護を代々継承した京極家の守護所が置かれた。戦国時代には京極家分家の尼子家(安来市)が台頭したため支配下におかれる。 本格的に開発が進んだのは、堀尾吉晴が1607年~1611年の足かけ5年をかけて松江城及びその城下町の建設を行って以降のことである。 1634年(寛永11年)京極忠高が若狭小浜藩より転封となり松江藩主となる。城下は近世都市として整備され山陰の都として栄えた。 江戸時代中期以降は親藩松平家(松江藩)の城下町として盛える。中でも有名な藩主が、「松平不昧公」の異名を持つ松平治郷である。 明治時代になると、松江は島根県の県庁所在地となった。小泉八雲が訪れたのもこの時代である。