唐津市の皆様、介護福祉士講座の5つの特長です
唐津はこんな町です
唐津市(からつし)は、佐賀県の北西に位置し玄界灘に面する市。 旧東松浦郡。唐津藩の城下町を前身とし、佐賀市に次ぐ人口規模を有する佐賀県第二の都市。唐津湾に注ぐ松浦川河口を中心に市街地が形成されている。唐津神社の秋季例大祭である唐津くんちや特別名勝の虹の松原、呼子朝市などで有名で、広大な面積に多数の観光資源を有する。県都のある佐賀都市圏とは歴史的・文化的観点から馴染みが薄く、比較的福岡都市圏との馴染みが強い。 2005年に周辺の東松浦郡呼子町、鎮西町、肥前町、相知町、厳木町、浜玉町、北波多村と合併(新設合併)して新たに唐津市となった。また、2006年に七山村を編入した。 経済圏である唐津都市圏は唐津市及び玄海町で約13万人強の人口を擁しており大部分を唐津市が占めるが、近隣の福岡都市圏、佐賀都市圏方面に通勤・通学する市民も多い(旧浜玉町域は福岡都市圏の5%通勤通学圏、旧厳木町域は佐賀都市圏の10%通勤通学圏である)。 市域は唐津平野と、上場(うわば)と呼ばれる丘陵性の玄武岩台地からなり、東は背振山地、西は伊万里湾、南は杵島山地、北は玄界灘(唐津湾)に面する。唐津湾には松浦潟(まつらがた)との通称もあり、杵島山地の青螺山を水源とする一級河川松浦川が注ぐ。また北西部の海岸はリアス式で出入りに富み、その地理的特徴から東松浦半島周辺は古くから中国や朝鮮半島方面の海上交通の拠点となった。半島北端部の名護屋には豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に築いた名護屋城がある。 江戸時代初期に初代唐津藩主・寺沢広高の命令で唐津湾沿いの砂丘に植えられたクロマツの林は虹の松原と呼ばれ、景勝地ならびに唐津の象徴として親しまれる。鏡山の展望台からは虹の松原及び唐津市街が一望できる。また、松浦川河口に突き出した形で存在する満島地区(行政区上は東唐津1丁目~4丁目)も特徴的な地形である。東松浦半島から松浦川河口付近一帯は玄海国定公園に指定されている。 地形や海流が複雑に影響しあい、温暖で夏期において多雨な太平洋側気候の一面を見せつつ、冬場においては日本海側気候の一面も見せる二面的な気候が特徴である(福岡市と同様)。年間の最大風速は8~12メートル程度で、冬の玄界灘の強風や春一番によるものが多い。松浦川橋梁のある筑肥線和多田~東唐津間がしばしば運休する。年平均気温15℃、年間降水量1992mm、年間日照時間1783.9、平均風速2.1m/s(平年値、1979年~2000年の統計)。 沿岸部は一年を通して朝と昼の寒暖の差が少なく、夏季に猛暑日や熱帯夜となることも滅多にない。また冬季の積雪や真冬日となることも稀である。山間部は典型的な高原の気候で、夏は過ごしやすく、冬は積雪が日常的である。そのため山間部に所在する一部の小学校は夏季休業と冬季休業の かつて、唐津市内のアメダス観測所としては枝去木と和多田があった。うち枝去木では、降水量・気温・風向・風速・日照時間の観測を行っていたが、観測所は標高110メートル地点にあり、観測データが唐津平野部の気象状態を表していたとは必ずしも言えなかったことに注意されたい。また、和多田は降水量のみの観測であった(標高5メートル)。2010年(平成22年)2月より枝去木と和多田の両観測所は、平野部の唐津市二タ子(標高23メートル)に移設され、新たに唐津観測所として観測を開始した。 都市核たる唐津平野部の市街地は、松浦川河口部に形成された旧唐津藩の城下町に端を発する旧市街と、その周囲の埋立地などに形成された新市街、高度経済成長期以降形成されたバイパス沿いの郊外型市街がある。 高度成長期からバブル期にかけては、九州電力唐津発電所や唐津警察署、唐津港湾合同庁舎、唐津市消防本部などが集まる港湾地区たる西唐津(妙見)が西に、また当時は唐津のターミナル駅であった東唐津駅や東唐津気動車区、国道202号(旧道)があり東唐津朝市も開かれる東唐津(満島)が東に、その中間に市役所や中心商店街に近い大手口があり、3つの地域を戦後開通した産業道路(佐賀県道279号妙見満島線)により接続し、双方で均衡ある発展を続けてきたが、和多田の国道バイパス道路開通や国鉄筑肥線電化・新線開業に端を発して和多田の松浦川対岸の田園地帯であった鏡が発展し、現在は東南に市街地が偏ってきている。