西条市の皆様、介護福祉士講座の5つの特長です
西条はこんな町です
西条市(さいじょうし)は、愛媛県東予地方、西日本最高峰石鎚山の麓に位置する市。国の名水百選にも選出されている「うちぬき」と呼ばれる自噴水(地下水)やカブトガニなどで広く知られる。旧西条市が力を入れて取り組んで来た、製造業を中心とする産業振興方針を今も継承し、同市の工業出荷額は四国の市町村の中で最も多い金額である。臨海部には国内最大級の今治造船のドックを有する。 今治市⇔西条市⇔新居浜市⇔四国中央市と、四国で唯一、人口10万人クラスの都市が横に連なり、それぞれ特色ある産業が栄え、文化さらには人的交流が活発になされている地域でもある。 2004年(平成16年)11月1日旧西条市、東予市、周桑郡小松町、同丹原町が対等合併して新たな「西条市」が誕生した。 西条という地名は、鎌倉時代の荘園名にも見ることができ、その後の西条藩にも受け継がれてきたように歴史的にも由緒ある地名である。最も古くは「予章記」建暦元年条に河野通信は軍功により「新居西条の郷」を賜りとある。(異説もある) 市2町の合併協議会で2003年5?6月に全国公募を実施、その結果3万件以上の応募があり、最も多かったのは「西条市」で有効件数全体の65%を占めた。このなかから、小委員会で上位の西条市、石鎚市、いしづち市、伊予西条市、西條市、さいじょう市、水都市、東予市、道前市、ひうち市の10候補を選んだ。さらに、西条市、石鎚市、いしづち市、道前市、ひうち市の5候補に絞込み、合併協議会に諮り『西条市』とした。西条市長(旧市)が「個人的には西条がよい」と述べ、住民説明会等において市名公募は西条で応募するよう促すなど、旧市の名称を継承する「西条市」の選択は既定路線ともいえた。ただ、東予市等の関係者にとっては、新市名も本庁舎も西条ではあたかも吸収合併のようであり、寂寥感が募るとの声もあった。なお、5つの候補はいずれも古くからの地名であったり、地下水が自噴するなど水が豊富で「水の都」と称されてきたことにちなんだものである。 市役所については合併協議会において、旧西条市役所を利用しつつ合併後10年以内に現在地よりも西の幹線道沿線地域に新庁舎を建設することとなったが、2008年末現在、未だに具体的且つ建設的な検討案は出されていない。 戦国時代末期に全国制覇を目指す羽柴秀吉配下の小早川隆景・吉川元長による四国攻めの軍が瀬戸内海を渡って現在の新居浜市に上陸し、この地方を実質的に支配していた金子氏との決戦の場となった(天正の陣)。「野々市ヶ原の古戦場」「千人塚」「高尾城」「高峠(高外木)城」「金子備後守元宅の墓」など多数の旧跡がある。 江戸時代、伊予の河野氏ゆかりの一柳氏が西条藩を治めていたが子孫に恵まれず数代で領地を没収され、暫く天領となった後、紀州徳川家より藩主徳川頼宣の二男・松平頼純を迎え、以後 紀州徳川家の支藩として幕末まで西条藩を治めた。 また初代西条藩主・一柳直盛の三男・一柳直頼が小松藩を開き、代々受け継がれ治めた。 松山藩初代藩主・松平定行が領内に3つの市場を整備し、そのひとつが丹原の地に設けられた。