島原市の皆様、介護福祉士講座の5つの特長です
島原はこんな町です
島原市(しまばらし)は、長崎県南東部の島原半島にある市。島原半島の中心都市。島原城や武家屋敷など旧城下町の街並みが残り、市内に湧水群のある観光都市である。有明海(島原湾)を介して、フェリーや高速船で結ばれている対岸の熊本市や大牟田市などとの関係も深い。旧南高来郡。 島原半島の東端に位置し、西に雲仙市、南に南島原市と接する。市の西部には標高1,483mの平成新山をはじめとした雲仙岳の山々があり、東向きに裾野が広がる。東は有明海に面する。東部の海岸沿いに人口が多く、国道251号と島原鉄道が海岸沿いを縦断する。 江戸時代初期の1618年(元和4年)から7年の歳月をかけ松倉重政が島原城を築城し、以後は島原藩の城下町として栄えた。しかし松倉家はキリシタン弾圧をはじめとする悪政を続け、1637年(寛永14年)に島原の乱が起こる。これにより住民はほとんど死亡し、代わって藩を統治した高力忠房の移住政策により復興していくことになる。 明治時代、廃藩置県によって一時的に島原県が設立され県庁所在地となったが、島原県はすぐに長崎県に編入された。その後島原城も廃城となり破却された(1964年に復元)。 半島の中央部にある雲仙普賢岳は大噴火を繰り返す活火山として有名である。1792年(寛政4年)の噴火の際には眉山の山体崩壊により島原大変肥後迷惑と呼ばれる日本史上最悪の火山災害が起こり現在の島原市域に大打撃を与え、1万5千人以上の死者が発生している。また最近では1990年(平成2年)11月17日から普賢岳が噴火。翌1991年6月3日には火砕流が発生し、報道関係者や世界的に有名な火山学者クラフト夫妻など43人が亡くなった。1996年6月3日に火山活動の終息が宣言され、それ以降は現在まで復興へ向けた取り組みが続けられている。