京丹後市の皆様、介護福祉士講座の5つの特長です
京丹後はこんな町です
京丹後市(きょうたんごし)は、京都府の市。京都府中郡峰山町、大宮町、竹野郡網野町、丹後町、弥栄町、熊野郡久美浜町の6町が2004年4月1日合併し、市制施行して成立した。 発足時の人口は約6万7000人で、旧峰山町役場に市役所が置かれたほか、その他の5つの旧町役場は、それぞれ市役所庁舎となった。 京都府の最北部に位置している。市域を北近畿タンゴ鉄道宮津線が走っているが、市名「京丹後」を名乗る駅名はなく、存在するのは旧町名に基づく、峰山、網野、久美浜の各駅である。 京丹後市全てがかつての久美浜県の一部である。 日本海に面する市域一帯には、峰山町に扇谷遺跡、途中ケ岡遺跡、弥栄町に奈具遺跡など弥生時代の大遺跡があり、日本海側における文化の一大中心地であったと見られる。古墳時代の4世紀中頃には、網野町に日本海側最大の前方後円墳である網野銚子山古墳(全長198メートル)、丹後町に神明山古墳(全長190メートル)が築かれた。当時は独自の王国があったとの説もある(丹後王国を参照)。 峰山町丹波は8世紀始めには丹波国丹波郡丹波里といわれたところで、丹波国の中心地であったと見られる。その後、713年に丹後国が分置され、丹後国となった。 主要な延喜式内社としては多久神社(峰山町丹波)、大宮売神社(大宮町周枳)、竹野神社(丹後町宮)、奈具神社(弥栄町舟木)、網野神社(網野町網野)などが鎮座する。 関ヶ原の戦いの功績により丹後全域が京極高知の領国(丹後藩)となった。その後、高知の三子により3藩に別れ(丹後三分割)、峰山には京極高通により峰山藩が置かれる。宮津藩京極家は改易、舞鶴藩京極家は但馬へ転封となる中、峰山藩京極家は丹後の所領を幕末まで守り通し、京極高知の丹後藩の伝統を伝える存在として知られた。また、峰山藩京極家からは幾人もの若年寄が出て、江戸幕府の中枢で活躍した。 現在の久美浜町には久美浜代官所が置かれ、山陰地方の天領を統轄した。のち、幕末から明治の一時期には久美浜県が設置され、県庁が同代官所跡に置かれたこともある。 江戸時代中期には京都の西陣織を参考にした「丹後織」が峰山藩で生まれ、以後丹後ちりめんなどがこの地の名産となり現在にいたっている。 1927年3月、北丹後地震に襲われ壊滅的な被害を出した。