秦野市の皆様、介護福祉士講座の5つの特長です
秦野はこんな町です
秦野市(はだのし)は、神奈川県中西部の市。 現在の市名は「はだの」であるが、古くは『和名抄』に「波多野郷」とあり、万葉仮名は清濁を区別することから「はたの」であったと考えられる。然し、波多野郷が秦氏に由来するとして「はだの」であったとも考えられる。秦氏については、肌(はだ)に馴染む機(はた)を織る技術を持つ故に「はだ」と号したという説話がある。無論、説話自体は牽強附会に過ぎないが、秦氏が「はだ」氏であったことは疑いが無い。明治以降、西部の上秦野村は「はたの」、他は「はだの」と称した。 小田急電鉄の駅名も現在は秦野駅(はだのえき)だが、かつては大秦野駅(おおはたのえき)だった。現在でも学校名や企業施設名などで「はたの」、”Hatano” が用いられているものがある。 市域は、東西約13.6キロメートル、南北は約12.8キロメートル、面積は103.61平方キロメートルで、県内19市中4位の広さを持つ。丹沢の麓に位置し、市域の半分は山林である。四方山に囲まれている。 神奈川県の行政区域としては湘南に含まれているが、海には面していない。北部と西部に丹沢山地が連なり、東は相模平野と秦野盆地に挟んでいる大根台地があり、南には大磯丘陵が横たわる盆地(秦野盆地)が市の中心部である。盆地内には金目川水系の河川により複合扇状地が展開する。 平安時代末期から鎌倉時代にかけて、平将門を討伐したことで有名な藤原秀郷の子孫・佐伯経範が1030年ごろ秦野に移り住んで波多野氏を名乗った。後に支流として、松田氏・渋沢氏・河村氏・栢山氏・大友氏・沼田氏などが出て、相模西北部にその一族の勢力を伸ばす。現在の秦野市内、足柄上郡松田町・山北町、南足柄市、小田原市の一部。 波多野城は一族の居館である。 その後、鎌倉幕府の御家人となり、後の戦国大名の波多野氏となった。 平成12年国勢調査によると、産業構造は、第1次産業が2.4%、第2次産業が36.2%、第3次産業が59.9%となっている。中世以来秦野地方の経済はタバコ栽培を中心としてきたが、昭和初期にタバコ産業の工業化が開始されて以来、秦野盆地における煙草栽培は急速に衰退し、1984年に栽培は終了した。日本専売公社秦野工場も閉鎖され、その跡地にはジャスコを核テナントとしたショッピングセンターが開店している。中世から昭和初頭に至るまで、秦野盆地は相陽煙草の産地として全国に知られていた。タバコ栽培は終了したが煙草の葉を模した銘菓「煙草煎餅」や例年の「秦野たばこ祭」に昔日の影が見い出される。 桜土手古墳公園 源実朝御首塚(みしるしづか) 延命地蔵 大日堂 白笹稲荷(しらささいなり) 波多野城址 秦野盆地湧水群(名水百選) 弘法の清水 若竹の泉 今泉名水桜公園 白泉寺のシダレザクラ 浄徳寺菖蒲園 震生湖 出雲大社相模分祠 弘法山公園 箱根大天狗山神社秦野大護摩会場