郡山市の皆様、介護福祉士講座の5つの特長です
郡山はこんな町です
市域は、中央分水界となっている奥羽山脈の東西にわたる。市の西部は日本海側である猪苗代湖南岸に及び、中心部は太平洋側の中通り中部に位置する。 市の中心部は、栃木県宇都宮市と宮城県仙台市の中間に位置しており、東北新幹線・東北本線・東北自動車道・国道4号で繋がれている。また、西(日本海側)の会津若松市や新潟市と、東(太平洋側)のいわき市へは、磐越自動車道や磐越西線・磐越東線および国道49号で移動する事が可能である。そのため、東日本の交通の十字路として拠点化が進み、経済・内陸工業・流通・交通の要所として、東北地方第2の人口を擁する郡山都市圏を形成している。また、中通り南部や会津地方との関係も深く、福島県内最大の経済圏を形成していると見なされている。 このような本市の拠点性により、県域放送をしているテレビ局2局とFM局1局が立地し、県庁所在地ではないにも関わらず、本県の情報集散地としても機能している。人口はいわき市に次いで福島県内第2位である。事業所数4734ヶ所、年間商品販売額1兆4515億円で、いずれも経済分野で福島県内で第1位であるが、交通事故発生件数、犯罪発生率もともに福島県内第1位となっている。最近でも交通事故・犯罪件数の多さに対処するため、警察署が増設された。 かつては犯罪発生率の高さに加えて暴力団の抗争が相次いで発生したことから、「東北のシカゴ」という異名を持っていた。これに対し、郡山市では昭和30年代から音楽活動によるイメージ改善を目指し、現在では「東北のウィーン」や「音楽都市」という異名で音楽活動が盛んな街としても知られるようになっている。 江戸時代には奥州街道の郡山宿があったが、本市の発展は明治時代に開削された安積疏水の寄与が大きい。安積疏水は、農業用水として当地の開拓を進め、工業用水・水力発電・飲用水にも用いられて都市化を進めた。また、郡山駅が鉄道路線の分岐駅となって人や物が集散し、大正時代には市制施行して、本市が福島県最大の都市となった。戦後の高度経済成長期には京浜工業地帯の企業が多く進出し、関東地方との繋がりが強まった。現在は、物販・サービスの郊外化が進んで中心部の集客力が低下し、仙台経済圏の影響を受けるようになった。 福島県の中央に位置している点から、県庁を郡山に移転しようという動きがある。これは福島県成立当初から県庁舎の建替え問題の度に運動が行われて来た事であるが、県庁所在地である福島や、郡山との交通が比較的不便である浜通り北部の反対が強く、実現には至っていない。歴史的には、明治時代の移転運動の結果、県庁と引き換えに、当時福島県に一校だけであった旧制中学校(現在の福島県立安積高等学校)を福島から郡山に移転することで和解した経緯もある。実際、市内の国道4号には2箇所に「福島県庁を郡山市に」という看板がある。 なお、当市には気象台の測候所がない。福島県内には福島、会津若松、いわき市小名浜、白河(現在は無人)の4箇所だけであり、テレビの天気予報でも郡山の気象状況は以前は伝えられなかった。これは、気象条件に左右される農業を営む市民だけでなく、そのほかの市民からも問題視する声が相次いだ[要出典]。そこで、郡山市独自の「天気相談所」を開設したが、無人のアメダスポイントが設けられたことや、郡山市の行財政改革の一環で、現在、天気相談所は廃止されている。