高崎市の皆様、介護福祉士講座の5つの特長です
高崎はこんな町です
高崎市(たかさきし)は、関東地方の北西部、群馬県南西部の市。旧群馬郡・碓氷郡・多野郡・甘楽郡(1900年(明治33年)の市制当時の区域は旧群馬郡)。平成の大合併により、人口が県内一となった。 2001年(平成13年)から高崎市は特例市の指定を受け、2011年(平成23年)の4月には中核市に移行予定。2010年(平成22年)には市制110周年を迎える。 古くから交通の要衝で、中山道(国道17号高崎以南・国道18号)と三国街道(国道17号高崎以北)の分岐点、関越自動車道と北関東自動車道の分岐点、上越新幹線と長野新幹線の分岐点ともなるなど、全国有数の交通拠点都市である。新幹線の停車する高崎駅は群馬県の県庁所在地前橋市の玄関口ともなっており、群馬県の交通の中心地である。平成の大合併では、倉渕村、箕郷町、群馬町、新町、榛名町、さらには吉井町を編入し、広大な市域に県内一の人口を擁するようになった。都市圏人口は約53万人で、都市圏人口としては県内一の規模といわれる。[要出典][1]公示地価では、高崎市が商業地・住宅地とも県内最高地点を占めている。このことから文教都市・行政都市の性格を持つ前橋市に対して高崎市は経済都市・商業都市の性格を持つ。市の中心地域(中心市街地)は旧群馬郡高崎町を中心とする地域。 江戸時代には高崎藩の城下町として、中山道69次中4番目に規模が大きい宿場町として、また物資の集散地・商業のまちとして大いににぎわった。街道筋の田町、本町、新町(現:あら町)などに市が立ち、その様子は「お江戸見たけりゃ高崎田町、紺ののれんがひらひらと」と詠われたほどである。鍛冶町には鍛冶職人が、鞘町には刀の鞘師が、白銀町には金銀細工師らが住み、当時の職人の町は今も町名としてとどめている。 現代でも県内有数の商業都市として盛えている。又、高崎郊外に位置する問屋町は、日本初の郊外型問屋団地である。 政治的には、本市から自民党の政治家(総理大臣については本市から3名)を多く出しており、「自民王国」としても有名である。 日本一のだるまの産地であり、国道18号沿いにはだるまの生産工場が集中している。また、群馬交響楽団が本拠地を置く数少ないオーケストラのある地方都市であり、毎年10月の中旬に高崎マーチングフェスティバルを開催し、毎年世界的なマーチングバンドを招いたり、市内各小学校や企業団体のバンドが一堂に集まり、市街地のメーンロードを行進する。古くから音楽とともに歩んできたことから、高崎市は「音楽のある街、高崎」と銘打っている。また、高崎フィルム・コミッションにより、ドラマ・映画・プロモーションビデオ等の撮影を誘致しており、しばしば高崎の市街地や学校などが登場する。毎年、高崎映画祭を開催するなど、音楽以外の芸術・文化活動も盛んである。 また、昭和40年代の上越新幹線ルート発表を契機に市が主導となって行った再開発事業などは30にもおよぶ。詳しくは高崎市の再開発を参照のこと。 毎年元日に行われる全日本実業団対抗駅伝大会では、高崎市役所が1区と2区の中継地点となっている。 関東平野の北西部に位置している。西端は長野県北佐久郡軽井沢町、東端は埼玉県児玉郡上里町に接しており、群馬県南西部をほぼ横断する形になっている(飛地があるため、完全に横断する形ではない)。 市内から赤城山・榛名山・妙義山の上毛三山を望むことができる。特に榛名山の南面は、大部分が市域に含まれる。 また市内には、利根川・烏川・碓氷川など、大きな一級河川が流れている。特に烏川は、流域のほとんどが市域に含まれている。 また、海岸より100km以上離れた内陸に位置するにもかかわらず、中心市街地の標高は97.1m(高崎市役所)と低い[2]。また、市の北部及び西部には標高1000m以上の地点も存在し、倉渕町川浦の浅間隠山にある東吾妻町及び、長野原町との境界では標高1690m、新町の烏川河川敷の標高60mと標高差が1630mもある 高崎市の中心市街地は、およそJR高崎線とJR信越本線、国道17号で囲まれた地域である。この地域は江戸時代以来の城下町であったとともに、中山道の宿場町でもあった。市役所を始めとする主要な行政機関や文化施設、公共施設、また数多くの商店街や金融機関、大型商業施設、宿泊施設などがこの地域に立地している。ただ、近年は高崎駅の東側にも商業施設や文化施設などが進出してきている。