四国中央市の皆様、介護福祉士講座の5つの特長です
四国中央はこんな町です
四国中央市(しこくちゅうおうし)は、愛媛県の東端に位置している市。四国3県に接している。 2004年(平成16年)4月1日に愛媛県の東端に位置する川之江市(かわのえし)・伊予三島市(いよみしまし)・宇摩郡土居町(うまぐん どいちょう)・宇摩郡新宮村(うまぐん しんぐうむら)が合併して生まれた。 高速道路が交差する交通の要衝であり、60km 南に高知市、70km 北東に高松市、80km 西に松山市、100km 東に徳島市が位置する。高速道路網の整備により、川之江ジャンクションと川之江東ジャンクションを持ち、四国の「エックスハイウェイ」が交差する中心地となっている。 市の南部に東西に連なる法皇山脈の山々が屏風のようにそそり立っている。平地は山地の北側に細長く展開し、北は燧灘に面している。中央構造線が山すそに沿って、東西に走っている。法皇山脈の南側に吉野川の支流の一つである銅山川が東流し、そのさらに南には高知県との境をなす四国山地の山々が連なっている。 松山、高松など、瀬戸内の他の都市に比べて、日照時間が2割程度少ない。これは平野部が狭く、燧灘を吹き渡って来た風が法皇山脈にぶつかり上昇して雲を発生させやすいためである。移動性高気圧型のときに顕著で、午前中はほとんど曇っており、気温が上がる昼前になってようやく雲が消え晴れてくる。同じ燧灘に面している新居浜や西条は平野部が広いため日照時間が長い。 平野部は気温が下がりにくい。冬の最低気温は松山や宇和島より高く、冬日は1年に1?2回程度である。これに対し山間部の新宮町や富郷町は冷え込みが厳しい。また、山間部には湿った空気が集まりやすく、降水量が平野部の1.5倍に達している。 春先を中心に、やまじ風という南寄りの突風(日本三大局地風の一つ)が吹き、農作物や家屋が被害を受けることがしばしばある。 市域で発見された遺跡から、この地方に人が住みはじめたのは1万2000年以上前と考えられる。最初に人が住んだのは金生川流域の丘陵地帯で、その後縄文時代から弥生時代にかけて海岸の平野部に生活の範囲が広がっていった。 古墳時代中期には木梨軽皇子の墓といわれている東宮山古墳が作られている。古墳時代後期の6世紀になると丘陵地帯に古墳が作られるようになった。7世紀前半には四国最大級の石室を持つ向山古墳が作られた。急峻な山地と狭く長い平野のため、大きな権力を持つ社会の形成は遅かったようである。