富里市の皆様、介護福祉士講座の5つの特長です
富里はこんな町です
富里市(とみさとし)は、千葉県の北部中央にある市。東京都心から60km圏内、北総台地のほぼ中央に位置しており成田国際空港から4kmの所に位置する。スイカの産地として、現在では生産高、出荷量ともに全国第2位を占める。また明治期に御料牧場が設けられた「競走馬のふるさと」として有名。 千葉県の北総台地にある。東西約10km、南北約11km、総面積53.91km2の市。 面積のおよそ68%以上が山林及び農地。住宅地は14%程度。 成田市・八街市・山武市・印旛郡酒々井町・山武郡芝山町の3市2町と隣接。 かつて、富里には広大な原野が広がり、台地上には牧があった。その起源は定かにされていないが、平安の頃からと伝えられている。中世の時代の牧については不確かな点も多いが、北条氏康が1583年(天正11年)千葉邦胤に命じて両総の原野に牧を開設させたと言われている。 その後、江戸幕府の重要な事業として継続された。その中でも佐倉七牧は幕府直轄牧場とされ、その面積は17,270haにも及び、馬の数は約3,000頭であった。その佐倉七牧の一つ「内野牧」は七栄を中心として、西は酒々井の東端、東は根木名までの約6km、南は南大堀、北は現在の成田ニュータウンまでの約8kmに渡る、面積は約2,210haと言われている。内野牧の下には、高野牧があり、富里の高野が中心となっていた。 幕藩時代、1頭辺り、5haの広い原野で大切に育てられていた放牧馬の制度は、明治政府によって、職を失った下級武士や路頭に迷った江戸庶民に新政府が困窮民対策として牧場が開放され、開拓が行われるようになった。開墾が始まった村には順に字名が付けられ、初富(現・鎌ケ谷市の一部)、二和(現・船橋市の一部)、三咲(現・船橋市の一部)、豊四季(現・柏市の一部)、五香(現・松戸市の一部)、六実(現・松戸市の一部)、七栄(現・富里市の一部)、八街(現・八街市)、九美上(現・香取市佐原の一部)、十倉(現・富里市の一部)、十余一(現・白井市の一部)、十余二(現・柏市の一部)、十余三(現・成田市、香取郡多古町の一部)となった。現在も、富里には七栄、十倉の地名が残る。 しかし、原野の大地に挑戦した多くの人々が準備や施設の不充分な中で過酷な生活に耐えかね土地を去る者も多くはなかった。また明治8年、七栄集落から発生した火災により、更に開拓民の数は激減することになる。 その後、十倉村両国地区に内務省勧業寮本庁が設置され、明治8年、下総牧羊場・香取種蓄場が開設された。後の明治21年、宮内省管轄の「下総御料牧場」と改称される。 昭和に入り、第二次世界大戦終戦後、同じく官有地が民間へ払い下げられ、開拓民が入植し、現在に至る。 近年は、周辺の成田国際空港の開港に伴い広い耕地が工業団地や住宅団地へと姿を変えつつある。 13の村を総称して「十三の里」(里はむらの意味)と言っていたことから「十三里」→「富里」となり「富里村」が誕生した。 熊本県にならぶ西瓜(スイカ)の産地。元々一般の作物に不向きだった土地の利用策として、西瓜栽培を行ったのが始まりといわれている。 西瓜の産地にちなみ、毎年6月に「スイカロードレース大会(ショートマラソン)」開催。1万人以上が参加して大変な賑わいを見せる。給水所の代わりに給スイカ所で「カット西瓜」がランナーに配布される。 市内には、巨大なスイカ模様のガスホルダー(千葉ガス・富里供給所)がある。2000年に完成し直径が33.8mと、スイカの本場、熊本県合志市にある、同じくスイカ柄ガスホルダー(西部ガス・直径17m)を抜いて国内最大級を誇る。また、岩手県岩手郡滝沢村の盛岡ガス・滝沢工場にも同じくスイカ柄のガスホルダーが存在する。