能代市の皆様、介護福祉士講座の5つの特長です
能代はこんな町です
能代市(のしろし)は、秋田県北部に位置する日本海に面した市。 能代工業高校のバスケットボールでの活躍が有名。1989年度(平成元年度)からバスケの街づくり事業に取り組んでいる。旧・能代市は2006年(平成18年)3月21日に二ツ井町と新設合併し、新たな能代市となった。 市域のほとんどは能代平野に属する平坦地だが、三種町との境付近や海岸部には丘陵がある。また、東部は米代川流域を除き山地が広がる。 能代が初めて文献に登場したのは658年、阿倍比羅夫が蝦夷征伐のために「渟代(ぬしろ)」に上陸した事で、これは日本書紀に記されている。また、771年には「野代湊(現能代港)」に渤海の使節来港、1704年には現在の「能代」に改称という記録がある。ただし、厳密にはこれらの地名は現在の能代周辺を指すのではなく、渟代は八郎潟湖以北の主に海岸部を、野代は米代川流域を指したものであったと考えられている。 能代の地名は『斉明天皇4年(658年)4月、越国守阿倍比羅夫が軍船180隻を引いて蝦夷を伐つ、齶田(飽田)・渟代二郡の蝦夷望み恐じて降わんと乞う』と「渟代」の名で日本書紀に登場して以後1300年以上続いている。これは現在の秋田である齶田と並んで県内でも有数の歴史ある地名といえるものである。当時の渟代の読みである「ヌシロ」という地名の由来を、当時この地方に居た蝦夷すなわちアイヌの言語で「台地上の草原地」を意味するという「ヌプシル」(nup-sir)からの転語とする説もあるが、正確な語源は定かではない。 続日本紀では『宝亀2年(771年)渤海使青綬大夫・壱万福(いちまんぷく)等325人、船17隻に駕し出羽国賊地・野代湊に着く』と「野代湊」の名が記され、「渟代」から「野代」へと表記が変わっている。 野代から能代への漢字の変遷は、元禄7年1694年及び宝永元年1704年に大震災が起こり、野代という地名が「野に代わる」と読めることを忌避し、「よく代わる」と読める能代と改めたためである。なお、渟代という地名は現在も渟城(ていじょう)という字をあて小学校の校名等一部で使われている。