三鷹市の皆様、介護福祉士講座の5つの特長です
三鷹はこんな町です
三鷹市(みたかし)は、東京都のほぼ中央に位置し多摩地域の最東端にある市である。 武者小路実篤、三木露風、山本有三、太宰治など多くの作家たちが住んだ街として知られるほか、全国初のゼロ歳児保育施設の開所(1956年)、全国初の公共下水道100%整備(1973年)を実施した先駆的都市である。2005年には、「みたか市民プラン21会議」、官民共同プロジェクト「あすのまち三鷹」、三鷹ネットワーク大学での市民、大学・研究機関、企業との協働などが成果をあげ、インテリジェント・コミュニティ世界一に選出された。 また、都市の便利さと緑豊かな自然とが調和する公園都市でもある。市域には桜で有名な井の頭恩賜公園(武蔵野市にもまたがる)や野川公園(小金井市、調布市にもまたがる)、国立天文台三鷹キャンパスなど保護すべき豊かな自然が存在する。 観光名所としては、2001年に開館した三鷹の森ジブリ美術館を筆頭に、山本有三記念館、太宰治文学サロンなどの様々な文化施設が存在する。加えて、三鷹駅南に位置する禅林寺には太宰治及び森鴎外の、市内南西端に位置する龍源寺には近藤勇の墓が存在する。 市域境界線は入り組んでおり、5つの自治体と隣接する本市では、市役所の一部が調布市域に掛かっているという珍しい事例がある。 東京都(島嶼除く)のほぼ中央に位置しており、23区と多摩地域の境界にある。 東経139度31-35分、北緯35度39-42分の位置にあり、東西6.4km、南北5.2km。 市域は鷹が大きく羽を広げたような形をしている。 北東に位置する井の頭地区には井の頭恩賜公園からなる井の頭池があり、東南方向に流れる神田川は井の頭池を源流とする。また、三鷹駅の地下をとおる玉川上水は、武蔵野市との境界を東南方向に流れ、万助橋から井の頭公園を横切り、牟礼地区を流れる。 大沢地区の南側には野川が流れ、流れの北側に国分寺崖線という河岸段丘が存在する。 上連雀地区・下連雀地区から新川地区を横断する仙川がある。 市北側にJR中央線が東西に走り、三鷹駅が存在し、駅の南側は市で一番大きな商業地区となる。 また、神田川沿いに走る京王井の頭線の井の頭公園駅、三鷹台駅は、それぞれ北側を武蔵野市、杉並区と接する。 また市西部の井口・大沢地区は武蔵境駅が最寄駅であり、市街地中心部を通過する鉄道路線が無いという大都市圏にある都市としては珍しい例となっている。 三鷹の名は、かつて徳川将軍家及び御三家が鷹狩を行なった鷹場の村々が集まっていたことと、世田谷領・府中領・野方領にまたがっていたことに由来する(三領の鷹場)と言われているが、旧三鷹村役場火災による資料焼失のため、真偽は不明。 下連雀 – 明暦の大火による神田連雀町(現在:神田須田町・淡路町付近)からの移住者にちなむ(旧連雀新田)。 上連雀 – 旧連雀新田の西(京都寄り)に位置することによる(旧連雀前新田)。 牟礼 – 史料に出てくるものとしては、三鷹市の中で最も古い地名。1559年(永禄2年)に編纂された『小田原衆所領役帳』には「無連」としてその名が記されている。由来については諸説あるが、いずれも定かではない。 井の頭 – 神田川の源流である井の頭池があることによる。 新川 – 1874年(明治7年)、野川村と上仙川村が合併した際に「新川村」と名付けられたことによる。 深大寺 – 古名刹深大寺のある旧神代村(現・調布市)の飛び地「深大寺新田」として開墾されたことに由来する。 井口 – 江戸時代に新田開発した井口家に由来する。 北野 – 下仙川村の北にあたり、野原が続いていたことに由来する。 野崎 – 深大寺の村続きの野原であったことや、武蔵七党・野与党の野崎光員が領したことによる説などがある。 大沢 – 湧水地により多くの沢があったからといわれるが定かではない。 中原 – 中仙川村の中央地区一帯の原野を指して名付けられた。もとは小字のひとつであったが、新住居表示の実施により、1965年(昭和40年)から町名として使われている。 観光スポット [編集] 井の頭恩賜公園 山本有三記念館 三鷹の森ジブリ美術館 水車(しんぐるま)・武蔵野(野川流域)の水車経営農家 出山横穴墓群第8号墓保存公開施設 国立天文台三鷹キャンパス 諏訪クワガタ昆虫館 湯浅八郎記念館(国際基督教大学内/民芸品博物館) 野川公園 新川丸池の里 風の散歩道 – 三鷹駅南口から万助橋を結ぶ玉川上水沿いの道路。 太宰治文学サロン 玉川上水緑道 堀合(ほりあわい)遊歩道 – 旧国鉄グリーンパーク線跡地に作られた遊歩道。 諸施設の項も参照。 街おこし [編集] Poki(ポキ) – 三鷹市のキャラクター。ジブリ美術館開館時に宮崎駿によりデザインされた。ただし、利用するためには、スタジオ・ジブリから使用許諾権及び再許諾権を受けている三鷹市の第三セクター株式会社「まちづくり三鷹」の個別審査が必要で、ジブリに支払う使用権料も商用利用の場合には高額となるため、市民が気軽に利用することはできない。また、菓子等食品の本体に用いることは禁止されている(包装への使用は可能)。Poki(ポキ)という名称は一般公募によって決定された。市の特産品を集めた「ポキショップ風の駅」が同美術館へ至る途上にある。 地域商品券 – 東京都の「新・元気を出せ!商店街事業」補助金[3]を利用し地域商品券事業を実施した。 名所・旧跡 [編集] 鷹場標石 – 一説には、三鷹の地名の由来になったともいわれる尾張徳川家の鷹場区域を示す石杭。市役所敷地内(野崎)のほか4基が市内に現存する。 黄檗宗霊泉山禅林寺(下連雀) – 太宰治、森鴎外の墓がある。 天台宗大盛寺(井の頭) – 別院(牟礼)に三木露風の墓がある。 井の頭弁財天尊堂(井の頭) – 初代・歌川広重の「名所江戸百景」にも描かれている弁財天。井の頭池西端の島にある。 新義真言宗神龍山開宮寺井口院(上連雀) – 三鷹不動尊とも呼ばれる。多摩地域の真言宗88寺院で構成される「多摩新四国八十八ヶ所霊場」の第3番札所。 曹洞宗大原山春清寺(新川) – 織田信長の家臣であった柴田勝家の孫・柴田勝重の墓がある。 新義真言宗応神山長久寺(大沢) – 市内に残っている鷹場標石のうちの1本が境内に保存されている。 曹洞宗大沢山龍源寺(大沢) – 近藤勇 の墓がある。 八幡大神社(下連雀) – 境内に市の天然記念物に指定されているスダジイの御神木がある。 牟礼神明社(牟礼) – 井の頭弁財天への道標でもあった石灯籠「巳待講燈籠(みまちこうとうろう)」が保存されている。 大鷲神社(井口) – 武者小路実篤の揮毫による社名碑がある。 勝渕神社(新川) – 徳川家康に仙川郷(上仙川・中仙川)を与えられた柴田勝重が、祖父である柴田勝家の黄金の兜を埋めて祀ったといわれる。 石造庚申供養塔(中原) – 1666年(寛文6年)に建立された市内で最古の庚申塔。 天文台構内古墳 – 国立天文台三鷹キャンパス構内にある上円下方墳。 国際基督教大学泰山荘 – 国の登録文化財。 出山横穴墓群8号墓 – 東京都の史跡である横穴墓 祭・イベント [編集] 三鷹市民駅伝大会 – 2月 三鷹の森アニメフェスタ – 3月 みたか商工まつり – 7月 三鷹阿波踊り – 8月 八幡大神社例大祭 – 9月 ガーデニングフェスタ – 10月 みたかスポーツフェスティバル – 10月 三鷹国際交流フェスティバル MISHOP – 10月 三鷹の森フェスティバル – 10月 丸池わくわくまつり – 10月 牟礼の里公園秋まつり – 10月 大沢の里秋まつり – 11月 三鷹市市民文化祭 – 11月 三鷹市農業祭 – 11月 名物・特産品 [編集] キウイワイン キウイようかん 農業の項も参照。