志木市の皆様、介護福祉士講座の5つの特長です
志木はこんな町です
志木市(しきし)は、埼玉県南部[1]にある人口約7万人の市。 埼玉県南東部の荒川西岸に立地する市である。 江戸時代、市内を流れる新河岸川の舟運により引又河岸(現在の市役所付近の新河岸川周辺)が商業地として発展した。この周辺の経済基盤を背景として、大正期には東武東上線が誘致され、その開業と同時に志木駅が設置された。昭和後期には館の柳瀬川河畔に志木ニュータウンが造成されて柳瀬川駅が開業し、現在は東京圏のベッドタウンとなっている。 面積は日本の市の中で7番目に小さい。 全国に先駆け、2002年(平成14年)より市独自に小学校低学年の少人数学級を導入した[2]。ほかにも新成人自らが毎年企画・運営して成人式を開催するなど、進んだ教育施策をとっている[3]。 こうした取り組みは、周辺自治体から一定の評価を受けたようで、2004年(平成16年)に内閣府経済社会総合研究所が全国自治体を対象に実施した「生活者の視点による地域活力・活性化に関するアンケート調査」において、志木市は「目標とする自治体」の全国第4位となっている[4]。 志木市内を新河岸川および柳瀬川が流れ、両川は市内で合流する。市東端のさいたま市境には荒川が流れる。 志木市は荒川と新河岸川に挟まれた荒川低地、駅周辺を含む武蔵野台地、武蔵野台地が柳瀬川によって浸食されてできた柳瀬川低地の3つに分けることができる。 荒川低地は標高5メートル程度、武蔵野台地は標高10-20メートルである[5]。 1874年、いわゆる明治の大合併のとき、引又宿(ひきまた)と舘本村(たて)が合併することになったが、新村名を経済力に秀でた引又とするか歴史ある舘とするかで大もめとなり、県に仲裁を仰ぐこととなった。県は『和名抄』にあった「新坐郡志木郷 」の名を取って志木とすることを提案し、志木宿と名付けられた。後に、志木郷は現在の和光市白子だったことが判明し、誤って名付けてしまったことが分かった。その後合併や分裂による町域の変更に伴い何度も町の名前が変わり、志紀町や足立町を名乗ったこともあったが、市制施行のとき志木市になった。 登録有形文化財 朝日屋原薬局 – 明治20年代創業の薬局。現在も薬局の店舗として使用されている。 県指定文化財 田子山富士塚 – 明治初期に本町の敷島神社に築造された富士塚。 市指定文化財 チョウショウインハタザクラ 村山快哉堂 いろは樋の大枡 桜 [編集] 志木市内には柳瀬川堤のソメイヨシノの桜並木やチョウショウインハタザクラに代表される桜の名所が多い。新河岸川堤(いろは親水公園)の桜並木や寶幢寺のシダレザクラなどは比較的広く知られているが、このほかにも各地域にそれぞれ桜の名所がある。このうち、柳瀬川および新河岸川の桜並木および敷島神社境内では桜の時期に桜まつりが催され、夜間はぼんぼりが灯され夜桜を鑑賞できる。 本町・宗岡地区 志木小・志木市民会館の桜 敷島神社の桜 いろは親水公園・新河岸川堤の桜 宗岡四小の桜 せせらぎの小径の桜並木(桜並木道) 道興准后の歌碑の桜 舘・柏町・幸町地区 長勝院の旗桜 寶幢寺の桜(シダレザクラ) 柳瀬川堤の桜(桜並木道) 志木二小・志木二中の桜(桜並木道) 神社・仏閣 [編集] 本町 東明寺 立善講寺 御嶽神社 敷島神社 – 境内に県の指定文化財である田子山富士塚がある。 柏町 寶幢寺 – 河童の伝承が残される神社。 神明神社 舘氷川神社 長勝院跡 – 現在は御堂が取り壊され、敷地内に長勝院旗桜のみ残されている。 幸町 愛宕神社 大六天社 館 上宗岡 千光寺 大仙寺 羽根倉ノ浅間神社 上ノ氷川神社 中宗岡 実蔵院 宿ノ天神社 中ノ氷川神社 下宗岡 大日堂 下ノ氷川神社