富士見市の皆様、介護福祉士講座の5つの特長です
富士見はこんな町です
富士見市(ふじみし)は、埼玉県南東部[1]にある人口約10万5千人の市。自然が多く残る首都圏のベッドタウンである。 市の名は富士山がよく見えることに由来する。市章は、中央に富士の見える市ということで富士をおき、周囲に3本の川(荒川、新河岸川、柳瀬川)と旧3か村(鶴瀬村、南畑村、水谷村)の合併を意味した円を配し、富士見を象徴したもの。 いわゆる「昭和の大合併」で、鶴瀬村を中心に発足した「鶴瀬行政支会合併促進研究会(通称:鶴瀬ブロック)」のうち鶴瀬、南畑、水谷の3か村の合併により富士見村が誕生。そのまま町制、市制した。 「平成の大合併」では「昭和-」の時とほぼ同じ範囲での協議が進められ、上福岡市、入間郡大井町(以上、現・ふじみ野市)及び入間郡三芳町との合併が協議された。住民投票の結果、富士見市では合併賛成が上回ったが、上福岡市・大井町では住民投票成立の条件とした投票率が規定に満たずに不成立、三芳町では住民投票は成立したものの合併反対が賛成を上回ったため、合併協議は中止になった。 水子貝塚公園 縄文時代前期の遺跡で1937年(昭和12年)に発見され、以降、数回の調査の後、「学術上価値が高く状態が良好」として1969年(昭和44年)に国の史跡に指定される。 一般的な名称ではないが、一部で「水子式土器」が提唱された。 大規模な環状の貝塚と集落跡があり、これを再現する形で全体が整備され「水子貝塚公園-縄文ふれあい広場-」として1994年(平成6年)に開園。地表に貝塚の分布がわかるように表示してあり、また園内に展示館と資料館がある。 中央に大きな広場を設け、数軒の竪穴式住居を復元。発掘調査で出土した植物の種などを基に、公園周囲に「縄文の森」復元。近年では植物が大きく育ったため電線や住宅などがかくれ、縄文時代の“村”を体感できる。 木製の展望台があり「縄文の村」の様子を一望できる。 難波田城公園 平安時代末期に成立した武士団「武蔵七党」の一つ、村山党の金子氏を祖とする難波田氏の居城跡である。 1928年(昭和3年)に埼玉県史跡に指定され、古くから知られた史跡であった。1961年(昭和36年)に埼玉県旧跡に指定変更される。 公園として整備されるまでは、石碑だけが建つ小さな空き地、といった感じであった。 2000年(平成12年)6月1日に公園として開園(広さ=約17000平方メートル)。園内は、東側に難波田城の堀や橋などを復元した城跡ゾーンと、西側に富士見市内に建っていた古民家2軒と長屋門(いずれも富士見市指定有形文化財)を移築した古民家ゾーンにわかれており、その中央に難波田城資料館がある。この資料館は難波田氏や難波田城についてだけでなく、富士見市の近現代の歴史まで学べ、特に日本住宅公団鶴瀬団地の模型などは目を引く。 復元した堀の水を利用し、蓮や菖蒲の名所にもなっている。 その他の公園等 [編集] 山崎公園-せせらぎ菖蒲園- 菖蒲の名所で、隣接する民家の大きな屋敷林を借景とした緑あふれる公園。 びん沼自然公園 びん沼川(元荒川)沿いに広がる自然公園。 むさし野緑地公園 雑木林を活かした小さな公園だが、園内には常設のミニ鉄道の線路(昭和55年2月「開通」)があり、4月-12月までの第2・第4日曜日に「富士見市ミニ鉄道クラブ」による無料の運転会がある。 富士見サイクリングコース 新河岸川の堤防上を利用した自転車道(歩行者の通行可)。生活道路としても利用されている。 新河岸川の堤防工事で長年、途切れていたが近年、復活した様子。