豊中市の皆様、介護福祉士講座の5つの特長です
豊中はこんな町です
豊中市(とよなかし)は、大阪府北摂(豊能)地域に位置する市。 明治以前は能勢街道の中間地点として栄えた。明治以降は箕面有馬電気軌道(現阪急電鉄)の沿線開発とともに住民が増えた。戦後は大阪都心から15km圏内という利点を活かし、北東部の新千里地区を中心に大阪都市圏の衛星都市、ベッドタウンとして、昭和30年代から千里ニュータウンの開発が急速に進んだ。そのため下水道などの都市基盤設備(インフラストラクチャー)の整備率は高い。交通面でも、阪急電鉄、北大阪急行電鉄と阪急バスによる公共交通網、中国自動車道 、名神高速道路、阪神高速池田線、新御堂筋をはじめとする幹線道路網、それに市北西部の大阪国際空港(伊丹空港)の存在など、至便の地である。交通については後述(1)。 概ね、阪急宝塚線の旧豊中エリア、地下鉄御堂筋線の延長である北大阪急行電鉄の千里地区に分けられる。高級住宅地の北部(東豊中・緑丘・上野坂)、中部(曽根・桜塚・長興寺)そして商業地の南部に分かれる。北東部の一角を日本初のニュータウン、千里ニュータウンが占める。 2001年(平成13年)4月1日、「地方分権一括法」によって「特例市」に移行した。 地形的には北部が高く(千里丘陵に面している)、南部に行くに従って低地(大阪平野に面している)になっている。 古期洪積層で、大阪層群と呼ばれる主に海成の砂礫と粘土の互層からできている。 その西縁部に分布する標高50-20mにゆるく傾斜した新期洪積層の段丘が豊中台地と呼ばれ、市街地の中心になっている。 大阪国際空港周辺の緩衝緑地帯などを除き、ほぼ市街化しており(都市計画では全域が市街化区域)、大阪府営の服部緑地が、貴重な緑を提供している。市南部では高川、天竺川など天井川が多い。 豊島(てしま)の名が文献にみられるようになったのは和銅5年(712年)太安万侶が撰上した古事記中巻からで、その後、神護景雲3年(769年)称徳天皇が豊島の人15人に姓(カバネ)を賜わった記録が続日本紀にみられる。 明治維新を迎え、廃藩置県後、村々の行政機構は改革され、数次にわたる行政区画の編成替えなどが行われた。1889年(明治22年)4月、地方自治制がしかれ、摂津国豊島郡新免村(てしまぐんしんめんむら)、南轟木村(みなみとどろきむら)、山ノ上村、桜塚村、岡町村の5ヵ村を合併して豊中村が置かれた。「豊中」の地名が生まれたのはこのときで、豊島郡の中央にあることから名付けたと伝えられている。これらの豊の字は戦前は豐であり、旧字体では豐中と表記した(戦前より存在していたウツワの意の豊ではない)。