恵那市の皆様、介護福祉士講座の5つの特長です
恵那はこんな町です
恵那市(えなし)は、岐阜県南東部の市である。 平均標高は約300mで山がちな地勢である。市の北部にそびえる笠置山、北西部の飯地高原、東部の保古山、根の上高原、西部の屏風山、夕立山、南部の焼山、三森山など、標高700~1,000m級の山に囲まれている。 なお、恵那山があるのは当市ではなく、隣接する中津川市と、長野県阿智村の境界である。 気候は、夏は比較的冷涼であり、冬の寒さが厳しい。山間地に入れば入るほどその傾向は大きくなる。冬の降水量は少なく、即ち降雪の少ない乾燥した気候となる。山岡町ではその気候を生かし、細寒天の生産量が日本一である。 現在の恵那市は、旧恵那市と旧恵那郡南部が合併した姿であり、市街地はそれぞれの旧市町村中心地に分散しているが、事実上の市の中心部は旧恵那市の市街地である大井町および長島町であるといえる。市役所をはじめ市の行政機関や、市の代表駅であり乗降客が最も多いJR東海恵那駅、大型ショッピングセンターや金融機関、中央自動車道恵那インターチェンジも大井町・長島町に位置している。 大井町(おおいちょう):中山道大井宿に由来する恵那市の中心市街地。恵那市の行政・商業・教育などあらゆる分野の中心となっている。東部・北部で中津川市と接している。 明治24年に町制を施行。 長島町(おさしまちょう):大井町に隣接して共に恵那市の中心市街地を形成している。現在も住宅地・商業地として発展している。 明治22年に正家村・中野村・永田村・久須見村が合併して長島村となり、明治31年に町制を施行し長島町となった。 武並町(たけなみちょう):市の西部に位置し、瑞浪市と接している。のどかな田園地帯が広がる竹折地区と、北部で木曽川に接する山がちな藤地区からなる。中央本線武並駅や中央自動車道、国道19号線、国道418号線が通っており通過交通量が多い。旧恵那市市域。 明治30年に竹折村が藤村を吸収合併したが、明治33年に武並村と改名した。 三郷町(みさとちょう):長島町の西、武並町の南に位置し、合併前の旧山岡町と瑞浪市に接している。概ねなだらかな丘陵地勢で、田園が広がる。旧恵那市市域。 明治22年に佐々良木村・野井村・椋実村が合併して三郷村となった。 笠置町(かさぎちょう):木曽川の北岸に位置し、笠置山の南麓に散在する「姫栗(ひめぐり)」「河合(かわい)」及び「毛呂窪(けろくぼ)」という3つの集落により形成される。中津川市に接している。旧恵那市市域。 明治30年に姫栗村・毛呂窪村・加茂郡河合村が合併し笠置村となった。 飯地町(いいじちょう):木曽川の北岸、市の北西部に位置する。恵那市への合併前は加茂郡に属していた。町域は中野方川に沿って西北-南東方向に走る赤河断層崖の連なりによって他地区から隔絶された山上にあり「飯地高原」とも呼ばれる。商業地はなく、目だった観光資源も地区人口も通過交通も少ないひっそりとした山里である。八百津町、白川町と接している。旧恵那市市域。 中野方町(なかのほちょう):木曽川北岸、恵那市最北部に位置する地区。笠置山の西北麓に位置し、中野方川に沿った東西に長い盆地内に集落を形成している。日本棚田百選の一つ坂折棚田がある。白川町、中津川市と接している。旧恵那市市域。 東野(ひがしの):大井町の南に位置し、旧恵那市の南端。旧岩村町と中津川市に接している。比較的平坦な田園地帯だが旧岩村町、中津川市との境界は山がちで、根ノ上高原や阿木川ダムを擁している。明知鉄道の沿線。 岩村町(いわむらちょう):旧恵那郡岩村町。東野の南に位置する。鎌倉時代に築城された岩村城の城下町で、江戸時代には岩村藩が置かれ、かつては商業の中心地として賑わった。歴史ある町並みは国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、観光業に力を入れている。明知鉄道の沿線。 明治22年に岩村町が町制を施行。 明治5年に下飯羽間村・中飯羽間村・上飯羽間村・根上村が合併して飯羽間村となる。 明治30年に飯羽間村・富田村が合併し本郷村となる。 昭和29年(1954年) 本郷村が岩村町に編入された。 山岡町(やまおかちょう):旧恵那郡山岡町。岩村町の西に位置する。冬期の乾燥した気候を生かした寒天製造が盛んで、細寒天の生産量は日本一。良質の陶土を産することでも知られる。西部で瑞浪市と接し、市境に小里川ダムがある。明知鉄道の沿線。 明治30年に馬場山田村・上手向村・久保原村が合併し遠山村となる。 明治30年に下手向村・釜屋村・原村・田代村が合併し鶴岡村となる。 昭和30年に遠山村と鶴岡村が合併し山岡町となった。 明智町(あけちちょう):旧恵那郡明智町。山岡町の南に位置する。中馬脇街道の宿場町で、大正時代に生糸産業の集積地として発展した名残が残る町並みを生かして「日本大正村」を名乗り、観光に力を入れている。西部で瑞浪市と接するほか、南部で愛知県豊田市(旧小原村・旭町)と接する県境でもある。明知鉄道の終点・明智駅がある。JR瑞浪駅までバスが走っており、瑞浪市との結びつきが強い。 明治22年に明知町が町制を施行。 明治7年に馬坂村・馬木村・高波村・峰山村・小杉村・落倉村・澤中村が合併し東方村となる。 明治8年に杉平村・門野村が合併し杉野村となる。 明治30年に東方村・杉野村・野志村が明知町に編入された。 明治38年に東方村・杉野村・野志村が明知町より分離し静波村となる。 明治6年に才坂村・土助村・安主村・岩竹村・上柏尾村・下柏尾村・颪村が合併し横通村となる。 明治22年に横通村・浅谷村・野原村が合併し三濃村となる。 明治8年に上田良子村・下田良子村・大栗村・上田村が合併し大田村となる。 明治8年に大船村・小泉村が合併し大泉村になる。 明治30年に大田村・大泉村・吉良見村・阿妻村が合併し吉田村となる。 昭和29年に明知町と静波村が合併して明智町となる。 昭和30年に吉田村が明智町に編入された。三濃村は旧横通村が明智町に吸収され、旧浅谷村・野原村は愛知県東加茂郡旭村(現在は愛知県豊田市)に分割編入された。 上矢作町(かみやはぎちょう):旧恵那郡上矢作町。岩村町の東南・明智町の東に位置し、長野県下伊那郡平谷村・根羽村、愛知県豊田市(旧稲武町)と接する岐阜県最南東端の町でもある。町域の95%が山林、標高差は1400mに達し、平地が少なく林業が盛ん。上村川などの清流に恵まれているが、風化花崗岩主体の地質は脆く、2000年の東海豪雨では甚大な被害を受けた。 明治5年に小笹原村・島村・横道村・飯田洞村・上村・木実村が合併し上村となる。 明治22年下村・漆原村・小田子村が合併し下原田村となる。 昭和31年(1956年)上村と下原田村が合併し上矢作町となった。 串原(くしはら):旧恵那郡串原村。明智町の南に位置し、矢作川を挟んで愛知県豊田市と接する。旧恵那郡南部の中でも最も鄙びた村で、まとまった市街地はない。キノコや蜂の子(へぼ)といった山里ならではの特産物がある。矢作ダム・奥矢作湖を擁し、豊田市との結びつきが強い。 旧恵那郡山岡町・明智町・岩村町・串原村・上矢作町の4町1村を 恵南(けいなん)という。