四街道市の皆様、介護福祉士講座の5つの特長です
四街道はこんな町です
四街道市(よつかいどうし)は、千葉県の北部に位置する市。 都心から40km圏内、県都・千葉市からも8kmと利便性の高い立地条件である事から、JR四街道駅周辺はマンションや住宅地が立ち並び、首都圏のベッドタウンとして発展してきた。また、再開発の進む四街道駅南口には、228基ものガス灯が立ち並び、長さも約2,300mと日本一の長さである。 一方、梨、落花生などの生産が盛んな近郊農業地帯でもある。 かつて古代には物部氏に関係した下総国千葉郡物部(現在の物井地区周辺)と山梨(現在の山梨地区周辺)という里・郷名であった。中世期には下総国臼井荘へと変わり、約600年もの間「千葉一族」の所領となった。その後徳川家康により関東が平定され、江戸期には佐倉藩・幕領となった。幕末には下志津原に佐倉藩の砲術練習所が置かれ、その後1886年(明治19年)4月に「陸軍砲兵射的学校」が創立され、1897年(明治30年)に「陸軍射撃学校」と改称され四街道駅の北側に移転してきた。この事により、四街道の町は軍都として発展を遂げていく。1922年(大正11年)「陸軍野戦砲兵学校」と改称。しかし、終戦と同時に軍は解体(現在残るのは「陸上自衛隊下志津駐屯地)。その後、旧陸軍施設跡地は、宅地・行政・文教・商業施設などに転換され現在に至っている。 市名の由来は四街道駅から西に500mほどの場所(現在の「四街道十字路」)に「北 成田山道」「南 千葉町道」「東 東宇がね(東金)道、馬渡道」「西 東京、船橋道」と掘ってある駒形方形の道標石塔が建っており、4つの街道が交わっていることから「四ツ街道」→「四街道」という名が付いた(和良比地区に字・四海道も存在する)。ちなみに近くには御成街道や千葉街道、成田街道や佐倉街道(年貢道)があるが、成田街道と佐倉街道が交わるのは佐倉城下であり、これらの街道は四街道の地名とは直接関係がない。
名所・旧跡 [編集] 皇産霊神社 ガス灯通り 和良比堀込城跡 旧陸軍野戦砲兵学校の記念碑 旧陸軍野戦重砲兵第四連隊の跡 福星寺のしだれ桜 祭事 [編集] 和良比はだか祭り